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名字になっている日付について調べてみました

 皆さんが生まれた時から当たり前のように、名乗っている「名字(苗字)」。名字の歴史や日付がそのまま名字になっているものなど、いくつか調べてみました。


目次


名字(苗字)の始まり

 皆さんが普段当たり前のように名のっている「名字」ですが、それらがいつに決まっていつから使われるようになったなど考えたこともない方がほとんどだと思います。
 長い歴史の中で、「名字」に通じるものが出来たのは平安時代後期からとなります。大きく2つにわかれて、公家(くげ)と呼ばれる貴族の名字と、武士の名字とあります。ともにルーツが異なりますが、どちらも当時の時代の必要性から自然発生的に生まれております。

最初は誰でも自由に名字を名乗れた

 上記のように、姓を同じくする公家や武士から名字は始まりました。その後、①貴族の「家名」と②武士の「名字」は、「名字」として統合され、室町時代になると農民階層にまで広がっていきました。

 歴史の視点からみてみると、大きな「氏」の集団から「姓(かばね)」で区別していましたが、区別がつかなくなってしまい、出自を同じくする人達の間で「家」を区別するという名称として「名字」が定着したとされています。姓(かばね)は天皇から授かるというもので勝手に変えることは許されなかった一方、自分で自由に決められる「名字」は使いやすく、広がっていきやすかったのでしょう。

苗字の日について

 さまざまな記念日が存在しますが、その中に「苗字の日」も存在します。
大体の記念日は1つですが、苗字の日は「2月13日と9月19日」の2つあります。なぜ2つあるのかというのは、明治政府が出した2つの政令にありました。

●1つ目は、1870年9月19日に交付された「平民苗字許可令」
むかしは、苗字を名乗れることは貴族や武士の特権でした。明治時代になり、戸籍管理の必要性が出てきたため、庶民にも苗字を名乗ることを許可したのが、この政令です。
●2つ目、その後の1875年2月13日に交付されたのが「平民苗字必称義務令」
今後、苗字を名乗ることが義務とされました。苗字を名乗る人があまりにも少なかったのでは、とみてとれます。
というわけで、苗字に関する大きな出来事が2つあるということで、苗字の日も2つになったのですね。

名字になっている日付について

 日本全国で、珍しい名字はたくさんあると思いますが、カレンダーにも載っている日付が名字になっているのは人数が少なかったりなどと、かなりレアだと思います。
 その中でも、読みにくい名字や人数が少ない名字を個人的にピックアップしました。

四月一日わたぬき10人ほどこの頃になると気温も暖かくなって、綿が入っている着物から綿を抜いたためと言われています。
八月一日ほずみ80人ほど稲の新穂を摘むことからと言われています。
二月田にがつだ20人ほど鹿児島県霧島市溝辺町竹子の小字の二月田から発祥とされている。地名はニガツデンと読む。
十二月田しはすだ10人ほど埼玉県川口市にかつて存在した「十二月田」の地名に由来する名字といわれます。その地域は現在は消滅してしまっている。
元日田もとひだ、がんじつだ、がんにちだ50人ほど大分県日田市が発祥とされている。江戸時代に記録のある地名はヒタ。「元は日田」の意。

 まだありますが、このくらいにしておきます。
日付が名字になっているものの中には「幽霊名字」というのもあります。
 例えば、「八月十五日(なかあき)」という名字は旧暦の八月十五日が中秋であることから、「中秋」にかけて生まれたとされています。

最後に

 普段何気なく使っている「名字」ですが、とっても長い歴史があり知れば知るほど奥が深いと思いました。皆さんも自分の名字の歴史や人数などたまに調べてみてはいかがでしょうか。
 私自身の名字は全国で2900人ほどいるみたいで、意外と多いなと感じました。